リチャード・リザック「セッティング」
2023. 4. 9 Sun - 5. 14 Sun
オープニングレセプション 2023. 4. 9 Sun 14:00 - 17:00
「セッティング」展は2008年から2023年にかけてシカゴにある作家の自宅スタジオで制作された8点の作品で構成される。それらはアルミ、ブロンズ、絵具、カエデ材、サクラ材、コットンといった多様な素材をもとに、ゆっくりと丁寧に生み出された。戸外でイーゼルに載せられた小さな絵画のように、これらの作品は部屋の向こう側からは完全なものであるように見えるが、近づいて焦点をあてると手作りの不完全性が顕になる。素材は切断され、成型され、研磨され、塗布されているが、常に──何らかの形で──もともとの素材そのままであり続けている。たとえば木材の表面に塗られた絵具は均一ではなく、それが作品の特徴や体系性を左右している。どの作品もイリュージョンを生み出すのではない。そのかわり、色彩、形状、規模、形体、知覚、幾何学をめぐる実験となっている。どれも人体に近い寸法だ。
かつて、彼の作品の多くは無題だった。いまは半分ほどに題名が付いている。東京で展示される8点のうちの6点に題名がある。
《ソラクス(コーナー)》では、部分的に吊られ、削られた、楕円形のブロンズが、白い木製のコーナー状の構造体に取り付けられている。
《巻きひげ(聖トーマス教会)》は、深緑の木材のパネルを背にした、成型された未処理のブロンズ製のふたつのシリンダーで、コート掛けのような付属品が4つ、ブロンズから水平に飛び出ている。
《プラット》は壁掛けされた光沢のあるブロンズで、その控えめな七色の輝きは、周囲の室内の様々な色彩で反映する。ほとんどサイケデリックで、手で触れたくなる。
《キージ、パンフィーリ》は天井から吊られている。銀、黄色、白、オレンジ、緑、円、正方形、長方形、球根、厳格性、空気力学。
ブロンズとラベンダーの作品は《ラテラノ・フレーム》。ブロンズは未処理で、成型過程の火の規模が、その色彩、肌理、全体的な情感として可視化されている。反復される形状が、作品のファサードをぴょんぴょんと走っている。
《息(レッシェンコールのモーツァルト)》は、ふたつの部分で構成された彫刻。ひとつはアルミ製の下顎のような大きな塊で、その上にブロンズ製の化粧台のような小さな形体がある。前者は断片のようで、後者は遺跡のよう。
無題(15-04)は、絵具──明るい緑と深い青──を塗られた菱形のサクラ材で、切り出されたアルミに部分的に囲まれている。
無題(08-06)は明るいオレンジ色に塗られた横長の木材による5つの部分で構成されている。二種類の異なるサイズの菱形がくり抜かれている。光沢のある絵具は、単一的な眺望や単一的な作品経験を混乱させる。それは周囲の世界を部分的に反映すると同時に、グラフィックなスコアあるいはスラットのある建材を思わせる。
作家は言葉を用いて、参照やインスピレーションの意識的なポイントを示唆する。題名を持つ作品たちは、作家にとって異なるチャージを持つ。より良い、より豊かなチャージというわけではなく、単に他とは明確に差異化されているということだ。
《ソラクス》は身体との関係性において。《巻きひげ(聖トーマス教会)》はライプツィヒの教会のことで。《プラット》は土地の離散的な区画を指し示す頭上の地図。《ラテラノ・フレーム》は古代ローマのバシリカ聖堂に関して。《息(レッシェンコールのモーツァルト)》はモーツザルトのシルエットを手がけたウィーンの彫師のことで。《キージ、パンフィーリ》はイタリアのバロック建築家フランチェスコ・ボッロミーニの主要なパトロン一家の家紋から。
無題の作品たちには括弧が付いており、そこに制作年および番号が記されている。
Rezacの言語的な連想は、鑑賞者に、より深い、あるいはより多面的な経験をもたらすが、その一方で、これらの作品は、幾何学がそれ自体として聖なるものであることを示唆する。それは自律的な力であり、象徴であり、理解への門なのだから。これらが相反する考えなのかどうか、私には定かではない。
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Rezac がアート・インスティテュート・オブ・シカゴで2016年に行った講演──私はその場にいたのだが──を記録したYouTubeのビデオを見る。このステートメントを書く準備のために。あのとき印象的だった、ある特定の瞬間を待っている。
そのときRezacは、演壇から彼の両親の白黒のイメージをスクリーンに投影した。ネブラスカの彼らのガレージの前に立っているところだ。1949年。作家が生まれる3年前。ガレージの小さい窓には模様が入っており、そこに珍しいほどに謎めいた、魅惑的な像が反射している。
リチャードはこの窓とその反射像を作品として再構築したいと話した。イメージとしてではなくレリーフとして。そして完成した作品《ネマハ》(2010)の写真を聴衆と共有した。この題名は、彼の家族が住んでいた通りの名から取られた。そこではニッケルめっきを施した成型されたブロンズが壁から飛び出している。もともとの写真の光と影に呼応するものだ。それは彼自身の記憶ではない、それでいて彼の記憶を介したものに、リテラルな次元性をもたらす。
私の電話が鳴る。母だ。南フロリダから。ようやく、ずっと待っていた瞬間に辿り着いたそのときに。作家がいかにして次のスライド、次の顕現に移るのか、目を凝らしているときに。そこに母だ。二次元と三次元の間のどこかに挟まれた彼女が、デスクから私に向かって光り輝く。電話を取る。彼女の声がする。「ハウ・アー・ユー?」
テキスト:ジョーダン・スタイン